2013年11月5日火曜日

山本太郎の「お手紙」で思う事。

実は、僕が思う事はメルマガに書いたので、もうそちらで読んでもらうしか無いのですが、その返信で一通読書から貴重な意見が寄せられて、いたく納得したもので、本人の許可が出た事もあり、転載します。

僕は、今回の事に中立の意見を言う事は出来ません。主観でしか物が言えない。事務所スタッフでも無ければ、単なる一ボランティアとも言えない、不思議な距離感にいる事は理解してます。なにせ、2011年から戦友のような存在ですから。

だから、ネット内にはびこる様々な意見、中傷はなるべく目を通してるし、擁護論も叩きもなるべく読む様にして来ましたが、少なくともマナー、ルールと言ってる人達が、その源泉を明らかに、解りやすく説明してくれる事はありませんでした。

これから転載する文章は、僕に天皇陛下、と言う存在の日本人にとっての意味を誰よりも明確に教えてくれた気がします。もちろん、一意見だし、これが客観的な意見かどうかは僕には判定出来ません。でも、僕の天皇陛下への理解は進んだと思えるのです。

取り合えず

以下転載



この話は自分にとっては
1.天皇制をどう考えるか
2.憲政をどう考えるか

の2点に集約されて、どちらからみてもNGなんです。
1.の方は、天皇制と天皇、天皇家を宗教観や国家観を含めてどう捉えるかという、
思想的、哲学的命題が関わるので、こちらはあまり主張しないようにしていますが、こちらも憲法と密接に関係があります。
少しだけ語れば、ノイホイさんの主張するような1条不文法(習慣法化)が理想ですが、私は現行憲法の象徴天皇制が日本史的に比較的あっていると思います。そのうえで、
「3.11で取り返しの付かない喪失があったが、日本は滅んでいないし、統合の象徴たる陛下と日本の存続は等価です。陛下が被災地を見舞ってくださったり、大御心をお言葉に込められたりという有難いことも、陛下の象徴たる存在に支えられています。
それぞれの持ち場で努力している者がいて、陛下は国民全てのものでありますから、陛下を私することは許されるものではない。まして、その統合の象徴である陛下(に対する振る舞い)を賛否の議論に載せるようなことは、憲法1条の精神にも反する。
といったところです。
こちらは、多くの方がむしろ分からないと思います。

太郎さんの気持ちはある程度わかているつもりで、太郎さんだからやりそうなことだというのもわかっているつもりです。
でも、それだけに2.の憲政から見て非常によくなかったと想う。
従来の国会議員誕生(実際には生成)とは異なるプロセスから、1議席でも確保する。
この意味において、無条件で山本太郎を支持してきた者としては憲政軽視にとられる(というか事実軽視だと思う)、軽挙に走ったのは残念でなりません。

憲法上、国会は国権の最高機関です。
国権の最高機関の一員である以上、国会議員は憲法を知らないでは済まされないし、最大限に憲法を尊重せねばなりません。
他の国家機関や国と同格にある機関、行政の最高府である内閣、裁判所、自治体、外国に対して、所属機関のコンセンサスを得ずにやってよいことはおのずと制限されます。天皇機関説的立場をとれば、天皇もまたひとつの国会と同格の機関となります。

国会議員じゃなければ、1.的にはよろしくないけど、基本的自由権の範囲で手紙を書くのは勝手でしょう。

天皇という政治的権能を持たない国民・国家統合の象徴に対して、国権の最高機関の一員にして一定の国民の負託を選挙で裏付けた公人(一定の人々の利益代表)が、何か「政治的な意図がある(無いにしても誤解される)」ような信書を交付するという行為はあってはならないと思います。

また、常識外とされる行動に出ることで「売名」につながれば、それ自体が政治家にとって政治利用という解釈もなりたってしまいます。

太郎さんは参議院という機関自体を軽視している点だけ見ても、憲法、憲政をちゃんと理解されていないように思われて仕方ないですし、この点は良く考えて、きちんと釈明なり、必要ならお詫び(付託を受けた国民に対してと、同じく付託を受けた議員で構成する参院に対し)すべきだと思います。

議会を軽視する国会議員というのは憲政上、あってはならないものです。

議院運営委員会理事会に「もうしわけない」、「沙汰には従う」と言いながら、
一方で「自分が政治利用なら他にも政治利用といえる場面がある」とか「辞職勧告に従うつもりはない」と言ってみたり、
「どうしても行きたかった」から応援演説に沙汰待ちの状況で行ったりするのも、議会軽視ととられかねません。

もう、見ていてハラハラするというより、擁護できるいい方が「天然だからしょうがないよ」という、「狂人が馬車のまえに転び出た」と変わらない話しか出来なくなってしまう。
日本中、政府も、国会もみんなおかしい狂ってるという話も分かりますが、だからと言って戒厳令が敷かれて憲法が停止されているわけではない。
憲政の否定は議会制民主主義の否定です。太郎さんがやっていることが、一種のテロなら自分は加担できないなあ。という感覚でおります。




転載ここまで

と言う事で、
僕自身は、天皇制、天皇陛下、議会に関しての知見が足りない分、ここまで明確に説明出来てませんが、本人とは同じ様な趣旨の話は随分としたつもりです。また、どこをどう考えるのか?と言う部分も、まったくもって僕と山本太郎ももちろん違うはずなので、彼がどう言う答えを出して行くのか?は解りません。

でも、最低一度はこの文章を読んでもらおうと思ってます。

と言う事で、ひっさびさのブログでした。